板金塗装の会社を辞めてから、次の正社員になるまでの約3年間。
そのあいだ僕は、アルバイトや派遣の仕事を転々としていました。
当時の私には、仕事に対する目標も、特にやりたいこともありませんでした。
ただ、
「とりあえず遊ぶお金がほしい」
その一心で、楽に稼げそうな仕事ばかり選んでいたと思います。
ここからは、その頃にやっていた仕事を、覚えている範囲でざっくり振り返っていきます。
当時やっていた仕事たち
「置き菓子サービス」の補充バイト
最初にやっていたのは、約半年ほどの
**「置き菓子サービス」の補充担当(アルバイト)**です。
会社の事務所や休憩室に専用ボックスや小さな冷蔵庫を置いて、
従業員が気軽にお菓子やドリンクを買えるようにするサービスでした。
私の仕事は、
- 商品の補充
- 期限や在庫チェック
- 売上の回収(集金)
といった、地味だけどコツコツ型の作業です。
「淡々とやれば終わる仕事」だったので、
精神的にはそこまでキツくはありませんでした。
牛丼チェーンと回転寿司の掛け持ち
次に約1年半ほど、
牛丼チェーンの夜間スタッフと、
回転寿司チェーンのキッチンを掛け持ちして働いていました。
どちらも、仕事内容は主にキッチン作業です。
- 盛り付け
- 簡単な調理
- 片付け・洗い場
牛丼チェーンは「夜23時〜翌朝7時」の夜勤。
回転寿司は「夕方〜夜22時」くらいまで。
どちらもレギュラーでシフトに入り、
今思えばなかなかハードな働き方でしたが、
当時は気の合う仲間もいて、それなりに気楽にやれていた記憶があります。
自動車メーカーのパーツセンター(派遣)
その次に、約10ヶ月ほど働いたのが、
某自動車メーカーのパーツセンターでの派遣です。
主な仕事は、
- 自動車部品の入庫作業
- ピッキング作業(指示された部品を倉庫内から集める)
- 在庫整理
最初は「どの棚に何があるのか」を覚えるのが大変でしたが、
何度も同じ場所を回るうちに、次第に体が覚えていきました。
倉庫内を一日中歩き回るので足の裏は痛くなりますが、
重量物はそこまで多くなく、日勤だったので生活リズムも比較的健康的。
「多少の体力は必要だけど、頑張って続けられそうだな」
当時はそんなふうに感じていた仕事でした。
気づけば、借金で首が回らなくなっていた
仕事自体はなんとか続けていましたが、
**本当に問題だったのは「お金」と「考えの甘さ」**でした。
最初は、高額商品のローンが約30万円。
毎月の引き落としは2万円弱で、この頃はまだ余裕でやりくりできていました。
ところが、そこにマルチ商法に手を出してさらに借金を重ね、
勢いで車までローンで購入するという暴挙に出てしまいます。
当然のように、生活はじわじわと追い詰められていきました。
本来なら、
仕事を選んでいる場合じゃない
定職について、安定した収入を維持しなきゃいけない
そんな状況です。
それなのに、私の頭の中にはまだ、
「バイトを頑張ってたくさんシフトに入れば、なんとかなるだろう」
という甘い見通しがありました。
心のどこかには、もちろん焦りもありました。
でも現実は、アルバイト中心で時間を切り売りする生活。
そんな収入ではとても支払いが追いつかず、
滞納してしまう月も出てくるようになりました。
借金がバレて、実家での居場所もなくなる
やがて、実家には催促状や金融会社からの取り立ての電話が入るようになります。
最初のうちは、
「たまたま遅れただけ」
「ちょっと手違いがあっただけ」
と、その場しのぎの言い訳でごまかしていましたが、
同じようなことが何度も続き、ついに両親に問い詰められました。
そこで、私の多重債務がすべてバレました。
当然、両親は呆れます。
「いい年して、いったい何をやっているんだ」と。
とはいえ、両親が簡単に立て替えてくれるわけではありません。
むしろ、
- 今いくら借金があるのか
- 毎月いくら出ていっているのか
- どこを削って、何から優先的に返していくべきか
こういった債務の現状を一緒に洗い出し、計算し直してくれました。
家計の見直しの仕方や、お金の優先順位のつけ方を
一から叩き込まれたうえで、最後に出てきたのがこの一言です。
「一人暮らしをしなさい」
その言葉を聞いた瞬間、
奈落の底に突き落とされたような気持ちになったのをよく覚えています。
ちょうどそのタイミングで、両親も新居を購入して引っ越す予定でした。
「もうこれ以上、甘えさせるつもりはない」という、
本気のメッセージだったのかもしれません。
ただ、結果的にはここで一度立ち止まり、
借金返済に向けて何をすべきか整理するきっかけにもなりました。
節約一人暮らしと、終わりが見えない返済
車は処分し、家を出て、一人暮らしが始まりました。
一人暮らしを始めた頃も、
自動車メーカーのパーツセンターと回転寿司の掛け持ちで必死に働いていましたが、
その収入のほとんどは金利の返済に消えていき、元金はなかなか減りませんでした。
家賃は、地域でも一番安いクラスの7畳ワンルーム。
食事はというと、
- 値引きされた菓子パンやお弁当
- 小麦粉を水で溶いて焼き、お好みソースだけをかけた「なんちゃってお好み焼き」
そんな食事で、毎日をしのいでいました。
「この生活、いつ終わるんだろう…」
そう思いながらも、
目の前の支払いに追われる日々で、
将来のことをじっくり考える余裕なんて、ほとんどありませんでした。
ここから本気で「正社員」を目指し始めた
そんな生活から抜け出すために、
「このままじゃマジで終わる」と、ようやく本気で正社員を目指すようになります。
そこで見つけたのが、
正社員として2社目となる個人経営の定食屋・食堂でした。
選んだ決め手は、すごくシンプルです。
- 家から近いこと
- 賄い(まかない)がつくこと
当時の私にとって、これはかなり大きなポイントでした。
お店は、感じの良い老夫婦がやっている、こぢんまりとした大衆食堂。
従業員は、僕を含めて数人だけ。
調理は夫婦が中心で、私の主な仕事は、
- バイクでの出前配達
- 店内の注文取り
- 配膳
- レジ業務
飲食店でのバイト経験もあったので、
「今度こそ、社員としてちゃんとやっていこう」
そう思っていました。
マニュアルのない現場で味わった、大きな挫折
でも、現実は甘くありませんでした。
チェーン店と違い、このお店にはガチガチのマニュアルがありません。
- その場の状況を見て、自分で判断して動く
- 常連さんごとの好みやパターンを覚える
- 電話注文の内容を整理して、配達の段取りをその都度考える
そんな**「自分の頭で考えて動く仕事」**がほとんどでした。
チェーン店は、本部の指示に基づくトップダウンの仕組みがしっかりしていて、
マニュアル化された「効率化」が徹底されています。
一方で、こうした個人店は、地域密着で、常連さんとの関係性を大事にする
**「柔軟さ」**が求められます。
どちらが優れているという話ではありません。
ただ、チェーン店しか知らなかった僕にとっては、同じ飲食店でもまったくの別世界で、正直かなり戸惑いました。
従業員も少数で、少数精鋭で回している現場という感じでした。
さらに追い打ちをかけたのが、
土地勘のないエリアでの出前配達です。
今のようにスマホのナビなんてない時代。
- 一度の配達で多い時で3〜4件まとめて回る
- 紙の地図を見ながら、効率のいい順番を考える
頭の中は常にいっぱいいっぱいでした。
配達の順番を間違えたり、場所が分からず迷ったり……。
もちろん、自分なりに必死でメモを取ったり、
頭の中でイメージトレーニングをしたりしていました。
それでもなかなか仕事を覚えられず、
ミスも減っていきませんでした。
自分で自分を追い詰めて、また辞めてしまった
そんな状況が続くうちに、私の心の中にはこんな言葉が居座るようになります。
「他の人はできているのに、自分だけできていない」
「きっと、冷めた目で見られているに違いない」
実際に周りがどう思っていたかは分かりません。
ただ、自分で自分を追い込んでいき、居場所がないように感じてしまったのは確かです。
「不器用すぎる自分」
「判断が遅い自分」
「気が利かない自分」——
ここまで能力や心構えに差がつくものなのかと思うと、
自己嫌悪がどんどん強くなっていきました。
その頃は、せっかくの賄いも、ほとんど味がしないほど精神的に追い込まれていたのを覚えています。
そして結局、この食堂の社員も、2ヶ月ほどで辞めてしまいました。
一言でいえば、逃げ出したも同然です。
ここが、私にとって大きな「挫折ポイント」でした。
▶次回予告
社員でコケて、借金まみれで、一人暮らしでギリギリ生活。
それでも私は、また「とりあえずこれでいいか」と仕事を選んでしまいます。
第3話では、灯油販売の冬季バイトの裏側と、
そこからさらにドツボにはまっていく私の思考回路をさらけ出します。

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