※この記事は「第0話|転職多すぎ?それでも前向きに生きてます。」の続きです。
第0話では、これまでの転職歴をざっくり振り返りながら、「転職多すぎでも前向きにやってます」という全体の流れを書きました。
第1話では、その中から専門学校を中退して、板金塗装工場の洗車係として働いていた頃の話を、もう少し掘り下げていきます。
専門学校を中退したときの本音
専門学校を中退したとき、正直いちばん強かった感情は不安ではなく、解放感でした。
「就職さえすればなんとかなる。どうにかなるでしょ」
そんな、今思えばかなり軽いノリで、深く考えずに学校を辞めました。
当時の自分の頭の中には、「将来どうするか」という長期的な視点はほとんどありませんでした。
その後も、専門学校時代から続けていたアルバイトを、これといった目的もなくダラダラ続けながら、
- 社員で働いている友人たちを見ては
「自由な時間がなくて大変そうだな」と勝手に決めつける - 自分はというと、「楽な仕事」「慣れた仕事」にどっぷり浸かる
そんな感じで、完全にぬるま湯に浸かった状態でした。
今の感覚で当時の自分をひと言で表すなら、
「その場しのぎで、のらりくらり生きていたクズ」
…ちょっと言い過ぎですが、それくらい危機感のない20代前半でした。
そんな私でも、唯一の救いだったのは「お酒が飲めなかったこと」と「ギャンブルにまったく興味がなかったこと」くらい。
タバコは普通に吸ってましたけどね。
働いていた職場と仕事内容
そんな私が次に選んだのが、ディーラーの子会社の板金塗装工場でした。
ここで私は、最終仕上げの**「洗車担当」**として働くことになります。
- 雇用形態:契約社員(中身はほぼアルバイトに近い)
- 担当:洗車要員が2名体制(私+もう一人)
板金塗装が終わった車を、お客様に返す前にきれいな状態に仕上げる役割です。
ある意味、工場の「ラストランナー」的なポジションでした。
仕事内容はシンプルで、
- 外装:機械ではなく手洗い洗車
- 内装:掃除機がけや、軽い拭き掃除
といった、最終仕上げのクリーニングがメインです。
なぜこの仕事を選んだのか(当時の本音)
当時はまだ実家暮らしで、大きな借金もなし。
毎月4〜5万円くらいは実家に入れていましたが、それ以外はほとんど遊びに消えていく生活でした。
正直に言うと、この頃の働く理由はかなりシンプルで、
「最低限の遊ぶお金と、ある程度の自由時間があればいい」
それくらいの感覚でした。
そんな自分にとって、この仕事は条件的にかなり魅力的に見えました。
- 家から近い
- 朝9〜夕方17時までで残業ほぼなし
- 覚えることもそこまで多くなさそう
深く考えずに、
「ここなら自分でもやれそうだな」
そんなノリで、板金塗装工場の洗車担当として働き始めました。
1日の流れと、意外と好きだったポイント
出社すると、まずは社員全員で準備運動。
体をほぐしてから、それぞれの持ち場に散っていきます。
洗車担当の私の仕事は、板金塗装の仕上がり次第でスタートします。
- 1日の洗車台数:多い日で10台前後
- 作業内容:外装の手洗い+内装の軽い清掃
- 合間の時間:事務所掃除や工場の片付けなど
作業自体は単純で、複雑なマニュアルもほとんどありませんでした。
でも、黙々と車と向き合う時間は、意外と嫌いじゃなかったんです。
普段の生活では、車の細かい部分までじっくり見る機会はなかなかありません。
ですが、ここでは、
- 高級車
- スポーツカー
- 普通の乗用車
本当にいろいろな車に触れることができました。
「この車、ドアの閉まる音が全然違うな」
「この内装の素材、手触りめっちゃいいな」
そんなふうに、車の機能や特徴の細かいところまで観察できるのが素直に楽しかったです。
この経験がきっかけで、
「いつか自分の車がほしいな」
と本気で思い始めましたし、
洗車に関しては**“お客さんが喜んでくれるレベルまで仕上げたい”**というプロ意識も少しずつ芽生えていきました。
真冬の洗車は、ほんとに地獄
とはいえ、いいことばかりではありません。
屋内での洗車とはいえ、水を使う仕事に冬は容赦がありません。
- 水は冷たい
- 手はかじかむ
- 指先には霜焼け
真冬の洗車は、毎回「修行か?」と思うレベルで過酷でした。
バケツに手を入れるたびに、
ジーンとした痛みが指から腕までじわじわ広がっていく感じは、今でもよく覚えています。
意外としんどい「ヒマな時間」と周囲の目
体力的にきつかったのは冬ですが、
精神的に少ししんどかったのはヒマな時間の過ごし方でした。
洗車担当の仕事量は、板金塗装の進み具合に左右されます。
- 立て続けに仕上がりが来る日もあれば
- ぽっかりと時間が空く日もある
何もしていない時間ができると、
「ボーッとしているとサボっているように見えないかな…」
と、周囲の目が気になってしまいます。
そのため、洗車がない時間は、
- 事務所の掃除
- 工場内の片付け
- 小さな雑用探し
などをしながら、**「ちゃんと働いてますよアピール」**をし続ける必要がありました。
肉体的な疲れよりも、
「常になにかしていないといけない」という精神的なプレッシャーの方が、じわじわ効いてきました。
人間関係のストレスが、一番の辞める原因
そして、最終的にこの職場を辞める決定打になったのが人間関係です。
洗車担当は基本的に二人体制。
ほぼ一日中、同じ相手と一緒に作業します。
その相方のスタッフは、気分の浮き沈みが大きいタイプで、
- 機嫌の良い日は、雑談もしながら普通に仕事ができる
- 機嫌が悪い日は、工場の空気が一気に重くなる
という、日によって雰囲気がガラッと変わる人でした。
とくにきつかったのは、他の社員の悪口を聞かされる時間です。
「○○さんってさぁ、ああいうところあるよね」
といった話をされると、
何と返していいか分からず、こちらも気をつかいます。
- 下手に同調するのもよくない
- かといって否定すると空気が悪くなる
結果として、私はだんだんと
- 必要以上に相手の機嫌をうかがう
- ご機嫌取りのような会話をしてしまう
- 一緒の作業が始まるだけで、朝からどっと疲れる
こんな状態になっていきました。
ケンカをしたわけではありません。
決定的な一発があったというより、小さなストレスが積もり積もっていった感じです。
今振り返ると、
「変に機嫌を取ろうとせず、適度な距離を保っておけばよかったな」
とも思いますが、当時の自分にはそれだけの余裕も経験もありませんでした。
この仕事で学んだことと、当時の自分への一言
振り返ってみると、洗車要員として割り切るなら、かなり気楽な仕事でした。
- 覚えることが少ない
- 接客ストレスがほぼゼロ
- 黙々と作業できる
- 求められるレベルもそこまで高くない
学生時代の飲食店やコンビニバイトと比べると、
確実に肉体的・精神的ともに楽でした。
ただし、その代わりに
- 収入は必要最小限レベル
- スキルとして大きく残るものは少ない
- 人間関係次第で、天国にも地獄にもなる
という側面もあります。
もしこの仕事について「向いている人/向かない人」を挙げるなら…
▼ 向いている人
- とにかく楽に働きたい
- 黙々作業が好き
- 最低限の収入でOK
- 接客はしたくない
▼ 向かない人
- 稼ぎたい人
- 変化ややりがいを強く求める人
- 将来に直結するスキルを身につけたい人
だと思います。
もし当時の自分に今の自分がひと言アドバイスできるなら、こう言います。
「洗車要員として働くのは全然いい。
ただ、それだけで終わるな。
何か資格や技術を身につけろ。
どこかのタイミングで、ちゃんと“社員”として働く道も考えろ。」
第一話で一番伝えたいこと
今振り返ると、この仕事には、
- 何もしないで家に閉じこもっているよりは、ずっとマシ
- 社会の空気に慣れるには、ちょうどいいステップ
- ただし、ずっと長居する場所ではない
そんな側面があったなと感じています。
この第1話で一番伝えたいのは、
「ぬるま湯のような環境でも、何もしないよりは一歩前進。
だけど、そこで止まらず、どこかのタイミングで次のステージにチャレンジしよう」
というメッセージです。
▶ 次回予告
今回は、専門学校を中退して、板金工場の洗車係としてぬるま湯に浸かっていた20代前半の話でした。
次回は、己の仕事に対する適性もわからないまま、転職先も決まらずに迷走していた時期のことを書こうと思います。
「何がしたいかもわからない」
「とりあえず辞めたものの、その先が決まらない」
そんなモヤモヤの中で、どうやって次の一歩を踏み出していったのか。
正直ベースで振り返っていきます。

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